[240] 磐梯吾妻スカイライン 投稿者:八扇 投稿日:2006/12/21 Thu 16:00
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磐梯吾妻スカイラインにある『吾妻八景』は、井上靖氏の命名です。 只今制作中 只今制作中 只今制作中 |
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[233] 『氷壁』3 投稿者:八扇 投稿日:2006/10/15 Sun 13:08
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『ナイロン・ザイル事件』原点説明板 只今制作中 |
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[232] 『氷壁』2 投稿者:八扇 投稿日:2006/10/15 Sun 13:06
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若山五朗氏ケルン 現在制作中 |
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[231] 『氷壁』1 投稿者:八扇 投稿日:2006/10/15 Sun 13:04
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前穂東壁 (前穂高東壁事件現場) 現在制作中 |
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[228] 井上靖氏とオリンピックと朝日新聞 投稿者:八扇 投稿日:2006/09/06 Wed 15:01
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【メディアセンター】予定地(現築地市場) 2016年夏季オリンピックの候補予定地東京 その会場施設のひとつ 開催地は、残念ながらブラジルのリオ・デ・ジャネイロ市に決定した。 東京都中央区築地5−2−1
井上靖氏は、昭和35年(1960年)7月19日から毎日新聞社よりローマオリンピックに特派されている。その後欧米各地を巡る。 その間の作品は、随筆「“聖火“の点火式を見る」「太陽と噴水と遺跡と」「ギリシャの旅」「ローマそぞろ歩き」「華麗な開会式を見て」「ハリー選手と語る」「ローズをたたう」「“十秒の壁”あすの選手に」「田中聡子の『若さ』」「覇者交代」「静かな勝利」「マラソンを見る」紀行「フランスの旅から」などがある。(年譜より)
井上靖氏とオリンピックの繋がりと言えば
『しろばんば』昭和35年(1960年) ローマ大会 (主婦の友連載開始) 『夏草冬濤』昭和39年(1964年) 東京大会 (産経新聞連載開始) 『北の海』昭和43年(1968年) メキシコ大会 (東京新聞他地方紙数紙連載開始) 『幼き日のこと』昭和47年(1972年) ミュンヘン大会 (毎日新聞夕刊連載開始)
以上のように井上靖氏の自伝的小説「洪作」シリーズの連載開始の年が、オリンピックの開催年と一致するのである。(『幼き日のこと』は『しろばんば』の解説ととらえてみれば、同シリーズと考えたい) これを『洪作五輪周期説』と名づけたい。
【朝日新聞東京本社】 東京都中央区築地5−3−2 (以前は、有楽町駅前にあった)
井上靖氏の代表作『氷壁』は、朝日新聞に昭和31年(1956年)11月24日〜昭和32年(1957年)8月22日連載された。
以上のことで井上靖氏にとって重要な縁(ゆかり)の地が、逝去された「国立がんセンター」を中心にして、道路一本隔てて北に「新喜楽」、道路一本隔てて東に「メディアセンター予定地」、道路一本隔てて南に「朝日新聞社」があるように、築地に集中している。 これは「不思議」なことなのか、「ただの偶然」か、「こじつけ」なのか、一体どうなのだろうか。 |
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[227] 井上靖氏終焉の地 投稿者:八扇 投稿日:2006/09/06 Wed 15:00
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【国立がんセンター】 東京都中央区築地5−1−1
平成3年(1991年)1月29日22時15分、急性肺炎のため井上靖氏はここ「国立がんセンター」三階で逝去された。1月22日に入院してから一週間後のことである。享年83歳。
この逝去時の様子は、ご家族が書かれた本に詳しい。 『私の夜間飛行』井上ふみ著・潮出版社 『グッドバイ、マイ・ゴッドファーザー』井上卓也著・文藝春秋 『父・井上靖の一期一会』黒田佳子著・潮出版社
最後の長篇は『孔子』、絶筆は詩『病床日誌』、未完は随筆『負函』であった。しかし、井上靖氏にはどうしても書いて残しておきたかった作品が三つあったようである。 『記憶するシュレッダー(私の愛した昭和の文士たち)』水口義朗著・小学館によれば、 1.『わだつみ』の後半 2.新聞記者の眼で見た終戦前後 3.親鸞 で、特に『新聞記者の眼で見た終戦前後』は、「中央公論」に掲載の約束がされていたそうである。 (ほぼ同様のことは、『増補井上靖評伝覚』福田宏年著・集英社にも書かれている)
また井上靖氏のご実弟、森田達さんもこの「国立がんセンター」にて、平成6年(1994年)1月3日、多発性癌進行により逝去された。享年80歳。その時の主治医は、井上靖氏と同じ主治医だったそうである。(『井上靖グローバルな認識』藤澤全編著・大空社) |
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[226] 『作家井上靖』誕生の地 投稿者:八扇 投稿日:2006/09/06 Wed 14:59
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【新喜楽】 東京都中央区築地4−6−7
昭和25年(1950年)1月31日、第22回(昭和24年下半期)芥川賞が、井上靖氏の『闘牛』に決定したが、その選考委員会が開催された場所がここ「新喜楽」である。(授賞式は2月11日) 芥川賞受賞が井上靖氏の『作家』としての実質上のスタートであり(毎日新聞退職は昭和26年5月)、言ってみればここ「新喜楽」が42歳から亡くなる83歳までの41年の『作家井上靖』の誕生の地である。
また井上靖氏は、第32回昭和30年(1955年)より第89回昭和58年(1983年)のおよそ30年芥川賞選考委員をされている。その間、候補作の論評を通して、文学界の次代を担う卵たちの才能を育むという作業と共に、選考委員会での当代一流の作家たちとの交流は、井上靖氏にとってやはり貴重な場であったであろうと想像される。
その選考委員会の殆んどは、「新喜楽」で開催されている。会場がすべて「新喜楽」となるのは、第44回昭和36年(1961年)からである。(『それぞれの芥川賞 直木賞』豊田健次著・文春新書)
また井上靖氏のご実弟、森田達さんがペンネーム森田幸之で第23回(昭和25年上半期)の芥川賞候補(『北江』『断橋』の二作)となったが、惜しくも受賞を逃した。選考委員の石川達三、舟橋聖一の両氏が『断橋』を高く評価したようであるが、多数に至らなかった。
「一説には兄弟による連続受賞となることに抵抗があった」そうである。(『井上靖グローバルな認識』藤澤全編著・大空社) |
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[224] 今井幸さんの墓所 投稿者:八扇 投稿日:2006/08/06 Sun 14:26
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(静岡市清水区興津中町193・理源寺) 昭和60年7月26日逝去 享年82歳
『あすなろ物語』の「雪枝」、『夏草冬濤』の「郁子」のモデル。 井上靖氏が、旧制沼津中学5年の時、約半年間下宿していた妙覚寺の住職の娘さん。 井上靖氏の「初恋の人」とも、「初接吻の女性」とも言われている。(『井上靖青春記』佐藤英夫編・著〔英文堂書店〕参照) |
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[223] 高安敬義さんの墓所 投稿者:八扇 投稿日:2006/08/02 Wed 15:05
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(千葉県香取市扇島885・長泉寺) 昭和19年5月15日戦死 享年30歳
『青春放浪』に「私がこれまでに知った一番頭のいい、しかも純真な友達であった」と評している。恐らく、生涯一番の親友とも思ってらしたのかもしれない。
川端康成氏のノーベル賞受賞時、「高安君が生きていたら、彼が先に受賞していただろう」という趣旨のことを井上靖氏はある人に語ったそうである。(そのある人ご本人の証言を私八扇は直接聞いている。何のノーベル賞を想定してそのように言われたか解らないが、その思いとは、「高安君が生きていれば、どんな賞でも受けるだけの、世界的な業績を成し遂げていたに違いない、それを思うとその夭逝が本当に残念で悲しい」ということではないだろうか)
★(兄が)「生きて還って来られたら何か素晴らしい仕事が完成していただろう。」・・・・・ご実弟、高安宗顕さん ★「若し高安敬義君、生きてあれば、日本の高安と言はれる人物に大成した事は疑うべくもないことだったと信じて疑はないところです。日本は惜しい人物を失った―と言うべきでしょう。」・・・・・旧制千葉中学時代のご親友、小林敏明さん (『追惜・井上靖』天城湯ヶ島町ふるさと叢書 第六集・天城湯ヶ島町発行・平成9年参照)
詩 『石庭 ―亡き高安敬義君に―』 詩 『友』 『青春放浪』 『美しきものとの出会い』 『井上靖 わが一期一会』 『亡き友・高安敬義〈忘れえぬ人々十二〉』 などの作品で高安敬義さんのことに言及、また実名やモデルらしき登場人物をしばしば作品に描いている。
また『あすなろ物語』の「漲ろう水の面より」の、戦死した「金子」が「出立の日に遺して行った」短冊の俳句「この夏は血も汗もただに弁えず」は、実際に高安敬義さんが戦地に赴く時、京都大学の恩師、久松真一先生に認めていった「此の夏や汗も血も只に弁えず」が基になっているようである。 墓誌 故敬義ハ大正三年三月十二日十五代高安宗悦ノ二男トシテ生マレ新嶋小學校千葉中學校水戸高等學校ヲ経テ京都帝國大學哲學科ヲ卒業シ研究中昭和十八年十一月五日大東亞戰争二應召各地ニ轉戰昭和十九年五月十五日支那河南省信陽縣長台關ニ於テ戰死ス 行年 三十二歳 父 誌 |
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[222] 金井廣さんの墓所 投稿者:八扇 投稿日:2006/08/02 Wed 15:03
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(静岡県富士市本市場144・延命寺) 平成14年3月13日逝去 享年94歳
『夏草冬濤』『北の海』の「金枝」のモデル。
井上靖さんの旧制沼津中学4・5年時の同級生。 沼津の江戸時代から続く老舗、製綿業・綿製品小売業「綿安商店」(現(株)わたやす)の五男に生まれる。四歳の時に実母を亡くす。人望厚く級長を務め、詩作やロシア文学に熱中する文学青年だったそうである。 |
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[221] 藤井壽雄さんの墓所 投稿者:八扇 投稿日:2006/08/02 Wed 15:03
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(沼津市本郷町25-37・霊山寺) 昭和42年3月16日逝去 享年60歳
『夏草冬濤』『北の海』の「藤尾」のモデル。
井上靖さんの旧制沼津中学4・5年時の同級生。 「沼津で一番大きい紙問屋」だった「大阪屋本店」のひとり息子で、姉たちの中に作品に登場する「美人で有名な姉」がいた。あだ名は「おじい」「じいちゃん」。仲間内では、「餓鬼大将」「ボス」的存在で、何をやるにも中心的存在だったようである。 「カチリ/石英の音/秋(冷い秋が来た)」の三行詩により、井上靖さんに衝撃的な「文学の洗礼」を与えたらしい。 |
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[220] 前田千寸さんの墓所 投稿者:八扇 投稿日:2006/08/02 Wed 15:02
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(静岡県駿東郡小山町大御神888-2 富士霊園)(1区2号2006番) 〔所在地『静岡県・歴史人物事典』(静岡新聞社)参照〕 昭和35年10月28日逝去 享年80歳
『夏草冬濤』の「眉田先生」、『黯い潮』の「竹山雨山」のモデル。旧制沼津中学の先生。
前田千寸 墓碑 明治十三年五月高知県美香郡の山村に生れ 東京美術学校日本画科を卒業、中学教諭を歴任後、大正元年県立沼津中学校に赴任、以来沼津の自然とその人情に共感し昭和三十五年八十歳で病没するまで沼津香貫山麓で過した 教鞭をとる傍ら日本の色彩文化の研究に没頭古典を精査し、原料草木・染色法・発色を自らの手で確かめ再現した その成果は河出書房刊「むらさき草」岩波書店刊「日本色彩文化史」に結実した その豊かな温情と熱意は生徒に深い感銘を与え 教え子の作家芹澤光治良・井上靖は作品の中でその姿を活写し、また香陵同窓会員は物心両面に亘り大いに研究を支援した 薫 九十才 建立 |
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[219] 足立長造・(林?)すがさんの墓所 投稿者:八扇 投稿日:2006/08/02 Wed 15:02
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(伊豆市市山234-1・明徳寺) 足立長造さん 大正6年10月5日逝去 享年78歳
(林?)すがさん 大正9年4月1日逝去 享年76歳
『桃李記』の「文左ヱ門」「すが」のモデル。 井上靖氏の夫人ふみさんの父上の足立文太郎さんのご両親。 実際の墓石には、表に「戒名」も、「裏面には二つの俗名と歿年月日」もない。この写真の通り、表に「名前」があるだけである。 |
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[218] 足立文太郎さんの墓所 投稿者:八扇 投稿日:2006/08/02 Wed 15:01
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(京都市左京区鹿ヶ谷御所ノ段町30番地・法然院) 昭和20年4月1日逝去 享年79歳
『比良のシャクナゲ』の「三池俊太郎」、『雷雨』の「西尾玄一郎」のモデルとされている。『桃李記』にも登場。 井上靖氏の夫人ふみさんの父上。井上潔さんの妹、すがさんの息子。『私の自己形成史』に「義父を見ていて、学者というものはまさにかくあるべきだという思い」に打たれたそうだ。また、『グッドバイ、マイ・ゴッドファーザー』(井上卓也著・文藝春秋)には、「もしかしたら、父が生涯で最も尊敬した人物、それはこの足立文太郎その人ではなかったであろうか。」としている。
『墓地とえび芋』 『星と祭』(南禅寺の近くのH院というお寺) 『花壇』 などの作品にこの岳父の墓所、「法然院」が舞台として登場しています。
『父・井上靖の一期一会』(黒田佳子著・潮出版社)によれば、井上靖さんは、ご夫人のふみさんへの「配慮もあって」当初この法然院にご自分のお墓を購入されました。しかし、その後この寺の関係者の一言に、「ひどく機嫌を悪く」されて、「そのお墓を手離した」ということです。そして、湯ヶ島の熊野山に墓地を決めてしまったそうです。
ご夫人のふみさんが、井上靖さんのお墓[210]をご両親のお墓(岳父)に似せて少し大きめに製作されたのは、そこにいろいろな想いが込められていることと思われます。
(墓石裏面) 足立文太郎 一八六五・六・一五生 一九四五・四・一歿 京都大学名誉教授学士院會員医学博士 初めて軟部人類学を提唱し脈管系筋系等の劃期的研究により日本人解剖学の基礎を確立す
(墓石側面) 昭和二十三年八月 足立千古建立 |
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[217] 石渡盛雄・すぎさんの墓所 投稿者:八扇 投稿日:2006/08/02 Wed 15:00
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(伊豆市・門野原・共同墓地) 石渡盛雄さん 昭和24年12月9日逝去 享年83歳
すぎさん 昭和28年1月13日逝去 享年86歳
自伝的三部作の「洪作」の父の兄夫婦、「石守森之進」夫婦のモデル。この伯父、叔母夫婦のことは、『幼き日のこと』にも詳しい。そこには、「伯父は幼い私に、父親の家の祖先の墓詣りをさせた」ことが、「なかなか素晴らしいことであったと思」い、「その時は感じなかったすがすがしい思いが、それから半世紀以上経ったいま、私の心に立ち現れてくる。」と記述している。 |
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[216] 石渡秀雄さんの墓所 投稿者:八扇 投稿日:2006/08/02 Wed 14:59
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(伊豆市・門野原・共同墓地) 大正5年12月20日逝去 享年73歳
自伝的三部作の「洪作」の父の父、祖父「石守林太郎」、「椎茸爺さん」のモデル。『夏草冬濤』に「大正7年歿」と記述されているが、それは『しろばんば』では、「洪作」の「棚場」訪問を「小学5年生」時に設定したため、『夏草冬濤』でも2年遅らせたものと思われる。実際の訪問は逝去直前の小学三年生の時らしい。(『幼き日のこと』参照) |
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[215] 旧井上家の墓所 投稿者:八扇 投稿日:2006/08/02 Wed 14:59
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(伊豆市・湯ヶ島・西平) 『夏草冬濤』で描写される「洪作」の先祖墓「玄俊、玄秋、玄道、玄英」のモデル。作品中「洪作」は、初代「玄俊」の墓を見つけられなかった。 井上家の先祖は、江戸時代18世紀中頃、四国よりこの地に流れてきた母子連れが始まりとの伝承があるようである。『私の自己形成史』に「好色と落魄と失踪が暗示されている」としている。
墓石は後列6基、前列3基の合計9基ある。
(後列向って右より) A.華光院理圓妙了大姉 (初代・玄春政信の母) B.法鷲院玄春日成居士 (初代・玄春政信) C.合掌院妙向日就大姉 (初代・玄春政信の妻) D.妙法就山童子 (二代・俊逹政直と毛舞の子・早世) E.妙法杣覚孩子 (三代・元俊政明と八重の子・早世) F.妙法穉覚童子 (三代・元俊政明と八重の子・早世)
(前列向って右より) G.高臺院玄俊日榮居士 (三代・元俊政明)〔養嗣子〕〔政直の甥〕 順逹院妙操日芳大姉 (三代・元俊政明の妻・八重〔政直・毛舞の子〕)
H.明練院春逹日相居士 (二代・俊逹政直) 相春院妙練日逹大姉 (二代・俊逹政直の妻・毛舞)
I.智孝院玄逹日進居士 (四代・玄逹常次郎)〔養嗣子〕〔出自不明〕 この玄逹さんは若くして亡くなり、三代未亡人・八重さんは、この亡き玄逹さんを分家扱いにし、息子の潔さんに「本家」を継がせるかたち(五代目)にしたそうである。そして、この再興可能な絶家状態の玄逹常次郎さんの「分家」を最終的に、井上潔さんは、やゑさんを当主として復活再興させた。その流れが、井上靖氏へと繋がっていく。(『若き日の井上靖研究』藤澤全著〔三省堂〕参照)
この井上玄逹さんは、四国の「金比羅さんを守った金光院の末裔で、医家で行方不明になった玄達ではないであろうか、年代の頃が似ているとも言われていて目下研究中」らしい。(『井上靖全集』〔新潮社〕第三巻月報参照) |
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[214] 井上賢二さんの墓所 投稿者:八扇 投稿日:2006/08/02 Wed 14:58
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(伊豆市・湯ヶ島・熊野山共同墓地) 昭和34年3月8日逝去 享年68歳
『しろばんば』の「洪作」の母の弟、「満州へ行っている大二」、「大二叔父さん」のモデル。『土の絵』で題材化している。 |
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[213] 中島基・まちさんの墓所 投稿者:八扇 投稿日:2006/08/02 Wed 14:57
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(伊豆の国市・共同墓地) 中島基さん 昭和55年7月27日逝去 享年87歳 『しろばんば』の「中川基」のモデル。さらに「犬飼」のモデルとの説がある。(『井上靖グローバルな認識』藤澤全編著〔大空社〕『しろばんば』の教師たち…安藤裕夫)参照
中島まちさん 大正8年2月2日逝去 享年23歳 『しろばんば』の「洪作」の母の妹、「伊上さき子」のモデル。『蘆』の「おみつおばさん」にも、その題材化が窺い知れる。 まちさんのことは、『幼き日のこと』の「若い叔母」に詳しい。「はき溜めに鶴が降りたように」「彼女は一門の中で、珍しく美貌であった」とし、「この叔母に対する思慕は、叔母が亡くなってから、…形成されて行ったものであるかも知れない」と書かれている。その母性思慕の対象として、また「若い愛人」としての「さき子」との深夜の別れは、『しろばんば』で、「本当は生れてから今までじゅうで、今夜が一番悲しかったのだ」としたのは、作者の偽らざる心境かもしれない。 しかし「この叔母の墓だけに詣っていない」そうである。 |
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[212] 井上家の墓所(本家) 投稿者:八扇 投稿日:2006/08/02 Wed 14:57
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(伊豆市・湯ヶ島・熊野山共同墓地) A.(向かって右側) 井上潔さん 明治34年1月11日逝去 享年58歳 『しろばんば』の「洪作」の曽祖父、「辰之助」のモデル。他の作品にも度々登場する。『私の自己形成史』で、「私が自分の家系で、誇り得るものがあるとすればこの曽祖父潔しかなかった」と記している。
飛呂さん 大正4年9月16日逝去 享年67歳 『しろばんば』の「辰之助」の正妻「おしな婆さん」、『ざくろの花』の「本家のおばあちゃん(たつ)」のモデル。『幼き日のこと』にも記述あり。沼津水野藩の家老の娘。少年期の足立文太郎さんを育てた。(『やがて芽をふく』井上ふみ著〔潮出版社〕参照)
B.(真ん中) 井上文次さん 昭和10年11月10日逝去 享年75歳 『しろばんば』の「洪作」の祖父、「文太」のモデル。
井上たつさん 昭和3年6月7日逝去 享年62歳 『しろばんば』の「洪作」の祖母、「たね」のモデル。
C.(向かって左側) 井上欣一さん 昭和44年5月10日逝去 享年80歳 『しろばんば』の「洪作」の母の弟、「大一」のモデル。『わが母の記』と『道』の「アメリカさん」、『わだつみ』に題材化している。 |
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[211] 井上家の墓所(分家) 投稿者:八扇 投稿日:2006/08/02 Wed 14:56
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(伊豆市・湯ヶ島・熊野山共同墓地) A.(真ん中) 井上かのさん 大正9年1月20日逝去 享年64歳 『しろばんば』の「洪作」の戸籍上の祖母、「おぬい婆さん」、『グウドル氏の手套』の「おかの婆さん」、『ざくろの花』の「おせいおばあさん」のモデル。『幼き日のこと』にも記述あり。
井上潔さんによって 、亡絶家状態であった井上玄逹常次郎さんの「分家」を、やゑさんを最終的に当主として復活再興させ、さらに、このおかのさんをその養母として入籍させた。そのことが、血縁関係の無い祖母と孫との「奇妙な土蔵生活」の遠因となっている。このおかのさんとの共同生活が無かったら、『作家井上靖』は果してこの世に存在していただろうか。 井上靖氏のこのおかのさんへの思いは尋常ならざるものがある。『幼き日のこと』に「祖母と孫の関係ではなく、世の男女の愛の形のようなものが、私とおかのお婆さんの間には置かれていたのではないかと思う。 私は今でも、おかのお婆さんの墓石の前に立つと、祖母の墓に詣でている気持ではなく、遠い昔の愛人の墓の前に立っている気持ちである。」と。その思いは『しろばんば』に傑出しているようである。
B.(向って右側) 井上隼雄さん 昭和34年5月10日逝去 享年80歳 『しろばんば』の「洪作」の父、「捷作」のモデル。『風』、『幼き日のこと』に記述あり。軍医として家族を伴っての転勤多く、ある事情で井上靖氏との別々な生活が度々あった。陸軍軍医監(陸軍少将)にて退役。そのことによって、湯ヶ島では「閣下」と呼ばれていたらしい。
井上やゑさん 昭和48年11月22日逝去 享年88歳 『しろばんば』の「洪作」の母、「七重」のモデル。『わが母の記』に詳しい。
C.(向って左側) 井上武さん 明治26年9月9日逝去 享年16歳 『わが母の記』の「俊馬」、『桃李記』の「武志」のモデル。 林兵馬さん 明治30年1月5日逝去 享年15歳 『わが母の記』の「武則」、『桃李記』の「兵馬」のモデル。 |
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[210] 井上靖さんの墓所 投稿者:八扇 投稿日:2006/08/02 Wed 14:55
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(伊豆市・湯ヶ島・熊野山共同墓地) ◎井上靖さん 平成3年1月29日逝去 享年83歳 自伝的小説三部作(『しろばんば』『夏草冬濤』『北の海』)の「洪作」、及び多くの随筆風小説の「私」のモデル。また、その著者。 「魂魄飛びて ここ美しき 故里に歸る」と自らの詩を刻んだ戦友慰霊詩碑近くに、多くの作品に描いた愛すべき“郷里湯ヶ島”の自然と風土と人々を永遠に温かく見守るが如く、井上靖氏の墓所はある。
(墓石裏面) * * * * * * 柔道六段 お酒大好き 心宏く温き人 多忙な中 にも幸せな一生を終える 平成三年 11月9日 妻 ふみ 是を記す (抜粋)
◎井上ふみさん 平成20年10月12日逝去 享年98歳 井上靖さんのご夫人。足立文太郎さんのご長女。
明治43(1910)年9月28日,京都市左京区にて誕生 昭和10(1935)年11月24日、京都ホテル(現京都ホテルオークラ)にて井上靖さんと結婚 昭和32(1957)年12月、東京都世田谷区に住居を移し、以来亡くなるまで約50年居住 (井上靖さんが50歳時に新築され、共に住まわれたこの邸の一部、書斎・応接間・書庫等は、旭川市の井上靖記念館にて2012年5月6日以降一般公開予定)
著書 『風のとおる道』 潮出版社(1991) 『天上の星』 毎日新聞社(1992) 『私の夜間飛行』 潮出版社(1993) 『旬菜歳時記』 講談社(1996) 『やがて芽をふく』 潮出版社(1996)
★『花過ぎ 井上靖覚え書』白神喜美子著、紅書房(1993)内 井上ふみ談「私は主人を一番理解しています。子供をあやすようにしてきました」 ★『思い出の作家たち2』文藝春秋(1994)内 井上ふみ談「ええ、あの人、いい人生だったと思います。私、一生懸命大事にしてあげましたからね」
☆何故だか、井上靖さんの岳父の『足立文太郎さんの墓所』[218]に似ているような・・・。 それもそのはず。井上ふみさんが、岳父のその「墓石」を似せて少し大きめに製作されたそうです。 (『追悼・井上靖』天城湯ヶ島町発行・平成5年参照) |
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[209] 只今制作中 投稿者:八扇 投稿日:2006/08/02 Wed 14:54
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只今制作中 もう少しお待ち下さい。 |
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[193] Re^18: 只今準備中 投稿者:八扇 投稿日:2006/05/31 Wed 14:26
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[192] Re^17: 只今準備中 投稿者:八扇 投稿日:2006/05/31 Wed 14:22
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[191] Re^16: 只今準備中 投稿者:八扇 投稿日:2006/05/31 Wed 14:21
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[190] Re^15: 只今準備中 投稿者:八扇 投稿日:2006/05/31 Wed 14:20
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[189] Re^14: 只今準備中 投稿者:八扇 投稿日:2006/05/31 Wed 14:19
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[188] Re^13: 只今準備中 投稿者:八扇 投稿日:2006/05/31 Wed 14:18
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[187] Re^12: 只今準備中 投稿者:八扇 投稿日:2006/05/31 Wed 14:17
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[186] Re^11: 只今準備中 投稿者:八扇 投稿日:2006/05/31 Wed 14:17
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[185] Re^10: 只今準備中 投稿者:八扇 投稿日:2006/05/31 Wed 14:16
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[184] Re^9: 只今準備中 投稿者:八扇 投稿日:2006/05/31 Wed 14:15
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[183] Re^8: 只今準備中 投稿者:八扇 投稿日:2006/05/31 Wed 14:14
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[182] Re^7: 只今準備中 投稿者:八扇 投稿日:2006/05/31 Wed 14:13
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[181] Re^6: 只今準備中 投稿者:八扇 投稿日:2006/05/31 Wed 14:13
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[180] Re^5: 只今準備中 投稿者:八扇 投稿日:2006/05/31 Wed 14:12
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[179] Re^4: 只今準備中 投稿者:八扇 投稿日:2006/05/31 Wed 14:11
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[178] Re^3: 只今準備中 投稿者:八扇 投稿日:2006/05/31 Wed 14:10
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[177] Re^2: 只今準備中 投稿者:八扇 投稿日:2006/05/31 Wed 14:09
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[176] Re: 只今準備中 投稿者:八扇 投稿日:2006/05/31 Wed 14:08
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[175] 只今準備中 投稿者:八扇 投稿日:2006/05/31 Wed 14:07
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[114] 『井上靖 御成橋と狩野川』文学碑3 投稿者:八扇 投稿日:2006/02/05 Sun 13:49
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井上靖 御成橋と狩野川
井上靖(明治四十年〜平成三年)は、天城山麓の湯ヶ島で幼少期を過した。大正十一年から旧制沼津中学で学び、友人たちとの出合いによって、文学に目覚めた。井上文学の礎は、ここ沼津で築かれたのである。 その様子は、自伝的小説「夏草冬濤」に描かれている。狩野川、そして御成橋とその周辺は、主人公である洪作少年と仲間たちの息づく青春の舞台である。
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「夏草冬濤」の一節 略
☆ この文学碑から、「大阪屋」「かみき」「ダルマ軒」それぞれの跡地がすぐ近くにあります。 ☆ |
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[113] 『井上靖 御成橋と狩野川』文学碑2 投稿者:八扇 投稿日:2006/02/05 Sun 13:41
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沼津市魚町1 静岡新聞SBSビル北側 御成橋西側 (JR沼津駅より徒歩8分) |
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