(伊豆市・湯ヶ島・熊野山共同墓地) A.(真ん中) 井上かのさん 大正9年1月20日逝去 享年64歳 『しろばんば』の「洪作」の戸籍上の祖母、「おぬい婆さん」、『グウドル氏の手套』の「おかの婆さん」、『ざくろの花』の「おせいおばあさん」のモデル。『幼き日のこと』にも記述あり。 井上潔さんによって 、亡絶家状態であった井上玄逹常次郎さんの「分家」を、やゑさんを最終的に当主として復活再興させ、さらに、このおかのさんをその養母として入籍させた。そのことが、血縁関係の無い祖母と孫との「奇妙な土蔵生活」の遠因となっている。このおかのさんとの共同生活が無かったら、『作家井上靖』は果してこの世に存在していただろうか。 井上靖氏のこのおかのさんへの思いは尋常ならざるものがある。『幼き日のこと』に「祖母と孫の関係ではなく、世の男女の愛の形のようなものが、私とおかのお婆さんの間には置かれていたのではないかと思う。 私は今でも、おかのお婆さんの墓石の前に立つと、祖母の墓に詣でている気持ではなく、遠い昔の愛人の墓の前に立っている気持ちである。」と。その思いは『しろばんば』に傑出しているようである。 B.(向って右側) 井上隼雄さん 昭和34年5月10日逝去 享年80歳 『しろばんば』の「洪作」の父、「捷作」のモデル。『風』、『幼き日のこと』に記述あり。軍医として家族を伴っての転勤多く、ある事情で井上靖氏との別々な生活が度々あった。陸軍軍医監(陸軍少将)にて退役。そのことによって、湯ヶ島では「閣下」と呼ばれていたらしい。 井上やゑさん 昭和48年11月22日逝去 享年88歳 『しろばんば』の「洪作」の母、「七重」のモデル。『わが母の記』に詳しい。 C.(向って左側) 井上武さん 明治26年9月9日逝去 享年16歳 『わが母の記』の「俊馬」、『桃李記』の「武志」のモデル。 林兵馬さん 明治30年1月5日逝去 享年15歳 『わが母の記』の「武則」、『桃李記』の「兵馬」のモデル。 |
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