【新喜楽】 東京都中央区築地4−6−7 昭和25年(1950年)1月31日、第22回(昭和24年下半期)芥川賞が、井上靖氏の『闘牛』に決定したが、その選考委員会が開催された場所がここ「新喜楽」である。(授賞式は2月11日) 芥川賞受賞が井上靖氏の『作家』としての実質上のスタートであり(毎日新聞退職は昭和26年5月)、言ってみればここ「新喜楽」が42歳から亡くなる83歳までの41年の『作家井上靖』の誕生の地である。 また井上靖氏は、第32回昭和30年(1955年)より第89回昭和58年(1983年)のおよそ30年芥川賞選考委員をされている。その間、候補作の論評を通して、文学界の次代を担う卵たちの才能を育むという作業と共に、選考委員会での当代一流の作家たちとの交流は、井上靖氏にとってやはり貴重な場であったであろうと想像される。 その選考委員会の殆んどは、「新喜楽」で開催されている。会場がすべて「新喜楽」となるのは、第44回昭和36年(1961年)からである。(『それぞれの芥川賞 直木賞』豊田健次著・文春新書) また井上靖氏のご実弟、森田達さんがペンネーム森田幸之で第23回(昭和25年上半期)の芥川賞候補(『北江』『断橋』の二作)となったが、惜しくも受賞を逃した。選考委員の石川達三、舟橋聖一の両氏が『断橋』を高く評価したようであるが、多数に至らなかった。 「一説には兄弟による連続受賞となることに抵抗があった」そうである。(『井上靖グローバルな認識』藤澤全編著・大空社) |
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